S.O.C

長谷川繁新作個展「酢毛悪郎」

2023年7月22日(土)〜9月2日(土)
開廊時間:12.00-18.00
休廊日:日、月、祝、8月12日(土)〜21日(月)

*初日16時〜東京オペラシティアートギャラリー、チーフ・キュレイター天野太郎氏と長谷川繁のトークは以下にてご覧いただけます:

長谷川繁新作個展「酢毛悪郎」トーク・イベント

「スケアクロウ ー  かかし」

もう半世紀近く前、中学生になっていた頃か忘れてしまったが、アルパチーノとジーンハックマンの出てた映画で何だかヒッピー的にアメリカの田舎を放浪するようなヒドい話を見て、それ以来そのタイトル「スケアクロウ」が頭にこびりついていた。スケアクロウという言葉が意味不明で、英語の響きが気に入っていただけかもしれない。与太者というか、酔っ払いというか、社会からはみ出てしまった男らの悲哀やら苛立ちやらが当時のアメリカっぽい感じで、日本の片田舎のガキにとっては遥か遠い異世界感が新鮮だった。当時の洋画はそういうアウトロー的な話が多かったし、成長期の頃の自分の根底に少なからず影響したかもしれない。

スケアクロウの意味が“かかし”だということはずいぶん後になって知った。 その後、美大生になってから見た「オズの魔法使い」に出てくる脳みその無い「かかし」も何故かわからないが記憶に残っている。ある種の欠落みたいなものに引っかかっていたのか理由はわからないが、無意識に自身を投影させていたのかもしれない。 たぶんその頃にやっと“かかし”と“スケアクロウ”が繋がった気がする。

どちらにせよ、「かかし」はあまり良い意味で比喩されることはないようである。ただ突っ立ってる能無しとか、役立たずとかの象徴のように扱われることが多く、役割は与えられているにも関わらず世界からはぐれてしまったかのような孤立感が漂う。 田畑で見られる本物の「かかし」もあり合わせのガラクタと不要の古着をツギハギにして、なんとか人型のような見映えにする程度で、ほとんどはこだわりなど無いいい加減なモノばかりであるが、人のようなカタチをしていることだけが唯一かかしを言い表しているようである。自分もこの10年くらいそんな中身も意味もないヒト型のようなカタチに興味をひかれていた。 2年前の個展でミレーの「種まく人」からタイトルをつけた。ただのタイトルであって何の意味もなく、ミレーのような敬虔な信仰心も農民への共感もあったわけではない。野菜や魚や石ころや棒を積み上げたり繋げたりして意味のない人型を作る。脳も感情も物語も無いヒト型。言ってみればかかしそのものだったのかもしれない。ただ積み上げて”種まく人のような“手を広げたヒト型を作った絵だった。

種まく人とかかし、、うまく繋がった。

我々が美術だの絵画だのと言っている分野、近現代の日本の美術も欧米の模倣と継ぎ接ぎ文化に他ならず、今に至るまで殆どのものは表面をなぞるか欧米の考えを真似ただけの中身のないハリボテでしかない。いつも海外の価値観の追従で、作り手も見る側もどこかで見た既視感のあるものを作り、それを見て安心する共犯関係で成り立っている。 姿はそれっぽくても中身が無いのである。とっくの昔から中身の無いかかし状態に他ならない。だからかかしが気になるのか。 種をまいた西洋美術の端っこで、ガラクタのつぎはぎで能無しの空っぽのかかしが突っ立っている、、そんな光景が目に浮かぶ。

長谷川繁

 

pagetop